人の振り見て我が振り直せ

本当に毎日が
「僕はまだまだ未熟すぎる」と
痛感することばかりだ
 
社会人としても、父親としても、
人間力」がまだまだ足りない
 
たくさん失敗をしていると思う
ミスをしていると思う
不安にさせることもいっぱいあると思う
 
しかし残念なことに
こんな自分を叱ってくれる人が
本当に少なくなってしまった
 
いや・・・
 
ずっとそう願ってきたのかもしれない
 
思えば幼い頃から
 
両親に認められたい
先生に認められたい
同僚に認められたい
上司に認められたい
社会に認められたい
 
そう強く思って、
生きてきた気がする
 
そうやって行動を続けていれば
必ず結果は出る
 
だからこそ
叱られることがほとんどなくなってしまった
 
こんな何者でもない僕がだ
 
唯一希望があるのは
僕が「メンター」と決めている人が
近くにいてくれることだろう
 
その人といるときは
自分では見えない自分を
気づかせてくれる機会だと思って
色々伺うようにしている
 
ただそれもずっと続くなんてことはない
 
いつかふとした時に
途切れるかもしれない
 
いつまでも頼りきりにはできない
ましてや依存なんてしてられない
 
 
だからこそ自立する必要があるのだ
 
 
叱ってくれる人がいないのなら
自分を自分で叱ってやれるように
もっと知見を広げ
社会に依存しない力を身につけていくのだ
 
そのためにはもっと世界を知って
そこから自分に対して
問いかける必要があると思っている
 
僕が日々、
インプットとアウトプットを欠かさないのは
そういうことだ
 
全く知見を広げない人間が
自分自身に問いかけてみても
気づきなんて一切生まれないだろう
 
方法はなんだっていい
他人の思考に触れて、知らない世界に触れて
初めて新しい問いかけが生まれる
 
それをちゃんと言葉にする、文章にする
手を動かし、声に出し、アウトプットすることで
血液のように身体に巡っていく、脳みそまで届く学びになる
 
そしてそれが「力」になるのだ
 
自分で自分を律するための力になるのだ
 
往々にして、人は問いかけが足りない
それだけ知見を広げる時間が少ないのだ
 
たった数年、学ぶ習慣ができたからってなんだ
僕はまだまだ未熟だ
 
だからいつも自分に問いかける
 
「見逃してもらっていることはないか?」
 
「立場に甘えて、傲慢な態度をとったり
人としてふさわしくない行動や言動になっていないか?」
 
「どうでもいい問題に振り回されて
本当に解決すべき問題を後回しにしていないか?」
 
人は自分のことしか変えられない
 
「誰かに人生を変えてもらった経験がある」と答える人には
あえて「それは違う」と断言する
 
その人が変えたんじゃない
ちゃんと自分が変わったのだ
 
翻せば、
「自分に相手を変えることもできない」
ということでもある
 
いつか誰かが現状を変えてくれるだろう・・・
きっとそれまで自分は大丈夫だろう・・・
 
そうやって気を抜いて
周りの顔色を伺いつつ
ただ迎合するだけの生き方なら
 
そんなもん自分にとっては
死んだも同義だと思っている
 
それくらい
「認められる」ということは快楽なのだ
 
世の中
どこもかしこも誘惑だらけ
 
快楽を得たいだけなら、酒でもタバコでも
手軽に得られる方法がいっぱいある
 
どうかそれに
周りを巻き込む人間には
なりたくないと思っている
 
だからこそ
 
本当に、この生き方でいいのか?
今日の自分は何を成した?
どんな価値を生み出した?
 
これからも何度も問いかけ、
考え出した仮説を
検証し続けていきたい
 
ばやし