盛れる力

今週のお題「盛り」

 

中々難しいお題ですが…

とりあえず思いつくことを

書き連ねていきますね(^o^)

 

あくまで個人の感想でしかありませんが

 

事実を盛るとか

メイクを盛るとか

 

そうした「盛れる力」について

世間では結構、後ろ向きな意見が

多いように感じています

 

もちろん

事実と乖離するほど

捻じ曲げてしまったり

原型を留めないほど盛ったものは

 

違和感や不信感を抱かれても

仕方ないでしょう

 

しかしそれが

「等身大にしか価値がない」と考えてのことなら

それは違うと

僕は思うんです

 

なぜなら

盛れる能力というのは

それだけその素材から派生できる

「引き出しを持っていること」だからですね

 

具体的には

▶︎その素材がどう活かせるかの「分析能力」

▶︎実際に盛る為の「知識・技術力」 

▶︎それがどんな印象に繋がるか俯瞰して見える「客観的視点」

 

そのいずれかが欠けていると

「盛ったはずなのに盛れてない」とか

「盛りすぎて引かれた」みたいな結果に

終わってしまうのだろうと思います…

 

また、人や物・出来事など

あらゆることにおいて

等身大にしか価値がない思っている人は

「それを売り込むことも下手」なイメージですね

 

等身大を知ったら

相手を失望させてしまう…

 

嘘をついたり騙したりするような

そんな罪悪感を感じる…

 

当然ながら

「自分が良いと思ってないもの」は

そもそも人に伝えるな、というお話で…

 

そういう意味でも

「盛れる」ということは

それだけ伝えたい想いがあるということ

 

そしてそれに対して

様々な表現方法を持っているという

「立派な能力」だと認識して

 

自分も「盛れる力」

磨いていきたいですね(^^)

 

ばやし