駆け引きを捉える

人はどうやっても

日々関わる人達と

持ちつ持たれつで生活している、

駆け引きの中で生きていると考えています。

 

例えば

自室に篭りがちな施設利用者がいた場合

僕がまず考えるのは

その方は「本当に部屋から出たいのかどうか?」で

 

病気などやむおえない理由で「出たいけど出られない」なら

適切な援助が必要だと思いますが

 

本人にもう「出る気がない」のなら

それは叶えてあげている方が

お互いにとって良い距離感になると思っています。

 

もちろん介護士の職責として

残存機能を維持することや

自立を促すよう支援していくことは重要でしょう。

 

ただ"一人の人間としての対応"と考えた時には

必ずしも「その型に当てはめる必要があるのか?」は

疑問に思うところなんですね。

 

部屋に篭る生活を続ければ

それだけ身体機能は損なわれていったり

職員が対応できる時間も限られてきます

 

それでもそれを納得された上でその生活を希望するなら

その分、対応できない時は

「今は対応できないですから」と気楽に断ることもできるわけです。

 

相手の要望を聞き入れている分、

自分たちも要望が伝えやすくなるわけですね。

 

それを許さず

「何としてでも食事はフロアで摂ってもらう」

「入浴は絶対決まった日に入ってもらう」

みたいな意識が強いと

 

「相手の要望を実現する代わりに自分たちの要望も聴き入れてもらう」

みたいな駆け引きのある関係は難しくなるでしょう。

 

まぁ一概にどちらが正しいとも言えませんが

いずれにせよ実現できること・できないことをちゃんと示しながら

介護士もご利用者も、心地良い距離感で関わることができるのが

理想だなと個人的には思いますね。

 

ばやし