情けは人のためならず

つい先日まで

このことわざを


「情けをかけることは、その人の為にならない」

 

と解釈していました(^^;;


それは「情け無用」のことですね・・・笑


恥ずかしいなぁ・・・


人前で使ってなくて

ほんと良かったです(汗)


ということで

皆さんはご存知でしょうが

このことわざの正しい意味は


「人に情けをかけると、巡り巡って自分のもとにも返ってくる」

なんですね

 

 

 

「与える者は与えられる」

 

こちらの「ココロの授業」等でお馴染み

比田井和孝さんの言葉で、


僕が大切にしている考え方にも

似ているなと思いました

 

皆さんは

"人に情けをかける時"とは

どういう時だと思いますか?

 


もちろん

"人と衝突した時"でしょうね

 


「喧嘩両成敗」という言葉もある通り

衝突が起きるということは

何かしら"互いに非があった"わけです


そもそも衝突を起こさない人は、

仮に相手が

通り魔的にぶつかってきても


避けるか、受け容れるかして

わざわざ自分も

仕返しにはいきません


しかし

時にはやむおえず

衝突してしまうからこそ

こうした言葉があるのだとも思うので

 


だからこそそこで

情けをかけられる人・・・

 


つまり

「その崩れたパワーバランスをフェアに戻す力のある人」こそ


多くの信用を得て

成功する人だと僕は思います


反対に、

衝突があった時に

勝敗や優劣をつけることに固執していれば


「決して成功はしない」ということでも

あると思うんです・・・


それは実体験として

僕もよく知っています


職場では

自分が快適に働けるように

施設のご利用者に対して

横柄な態度をとっていた時期がありました


家族関係でも

妻と衝突した際に

自分の非を認めようとせず

それらしい考えを並べて

言いくるめようとしたこともあります


そうした行動の裏にあるのは

「傷つきたくない」という心理です


でも

傷つきたくないのは

誰だって当然ですよね?


だから誰のことだって

むやみに傷つけたくもありません


ですがそれでも

「この人は傷つけて良い」と思える瞬間があるんです

 


それが

「人を傷つけた人は、傷つけても良い」

という心理が働いた時なんですね

 


つまり「正義と悪」が成立した時

人は簡単に

人を傷つけるようになります


僕のかつての失敗もそうでした


そこにはいずれも

「自分を正義と疑わない姿勢」があったんですね


傲慢な人

権威を振るう人

暴言を吐く人

不貞を働く人

陰口を叩く人


一見「悪」に見えますが

所詮は

誰しも陥りやすい「失敗」でしょう


もちろん

それらを肯定はしませんが、


かといって

それを咎め続けても

相手にも、自分自身にも、

良い影響はありません


なぜなら

他人の失敗を咎めた分、


自分の挑戦にも

それだけのリスクがあると

意識するようになるからですね


「情け無用」の考え方は

他人の選択肢はおろか

自分の選択肢も狭めてしまいます


だからこそ

「情けは人のためならず」の姿勢で


人と関係が築けることや

自分からそう立ち回れることが、


両者の視野を広げ

選択肢を増やすのだと僕は考えます


とはいえ

これまで自分のやってしまった失敗のツケは

きっちりどこかで

返ってくるとも思っているので


その時にまた

「こんなこと考えても意味はなかった」と

開き直ってしまうのか?

 

それとも

「それでも備えてきて良かった」と

現実を受け容れて、次に進めるのか?


後者を取れるよう

僕はこれからも「与えることができる人」で

ありたいですね(^^)


ばやし